「小さな声のカノン」という映画をみて雑感

 横浜にちょっと用事があったので、ついでに、黄金町プロジェクトその後の「ジャック&ベティ」に行って、映画。映画だけだったら行かないのだが、高遠菜穂子さんのトークがあるというので、彼女については全く予備知識ないのだが、どんな感じの人なのか見に行こうというのが主目的。
 黄金町のちょんの間あたりの店も、地道にずっと続いていて、あの頃から変化はない。映画館も結構工夫して、客もたくさん来てて、支配人のトークも毎月1日の映画の日にやってるという。近隣映画や渋谷の映画館の情報なども見られるようにして、連帯も感じられる。地域文化って大それたものでもないけど、地域文化の持続可能性が証明されている一例、あるいはスプーン1杯かもしれないけど、成功例の一つではあろう。
 こないだNHKである地方でゲストハウスを運営している若者の例が出ていた。空いているスペースを活用してというような話しだったと思う。20代前半の何人かの若者たち。つくるまではとても楽しかったが、いざはじめてみると、毎日ルーティーンワークばかり、掃除やベッドメイクばかりして、これだったら自分じゃなくてもできる(誰でもできる)、別のことをしなければ、ときわめてユダヤ的な進歩史観の中にいる。そして、商店街に何か助成金とれそうなプレゼン資料持ってって、プレゼンする。
 考えてみれば当たり前で、空家だらけが当たり前で、雇用労働がつまらないのが前提となっている時代における若者が、その状況に適応して動いているだけであって、別に奇特な若者の例ではないから。自己実現とか承認欲求とか、ありがちな事象は「社会的事業」であれ、お金と関係なく楽しむ(彼ら共同経営者は月給10万円だそうだ)のであれ、いわゆるレールにのっている(かのようにみえる)人たちと同じか、それ以上に強いわけで、「ここ」ではない「どこか」にユートピアとまでは言わないまでも何かを探している。まあ、自分探しの旅なのか。
 阪神大震災のボランティアをしている時、それが私の原点なのだが、その時、これをずっと一生の仕事(活動)にする、という選択肢があった。事実、それをして、20年たった今、活動し続けている人もいる。だいたい研究者やNPOとして。研究者やNPOのよさも悪さも身近にいたし、実際その場にいたこともあるからよく分かるのだが、それをずっと続けることはしたくないなというのが私の選択だった。行政の助成金とか文科省科研費とか学会の論文発表とか、そうしたものに束縛されることをずっとやってきて、もういいよ、「自由」な立場にいたいよ、と思ったから。
 黄金町でつぶれた映画館を継承して、違法な風俗営業を続ける業界と警察の権力闘争によるまちこわしの経過から発生した破壊にともなう創造、そしてそれを継続する、つまらないような切符のもぎりを続けるようなことを続けることで、「地域文化」は継承される。それぞれがそれぞれのアクターとしてあり続ければよい、それがちっぽけであれ、社会における実現であり、それこそある種の理想形態ではないか。そんなことを、映画館に早めに着いたので、支配人と雑談しつつ、考えた。
 映画は、鎌仲監督の「小さな声のカノン」というタイトルのもので、原発事故による放射能から子どもを避難させるかとどまるか、あるいは保養に行かせる、そういうテーマの映画。前の仕事で、この関係の議員立法をつくってきた過程もあるし、阪神大震災以来のライフワークともかかわるし、といろいろあるけれども、鎌仲監督の映画はいくつかみてるが、かなり映画作品としては下手くそだと感じているし、今回のテーマについても、取り上げ方について予想がつくことがあって、積極的にみたいとは思ってはいなかった(もちろん私がいる田舎ではやってない映画だしTSUTAYAで借りられるわけでもない)。
 映画が終わった後、監督と高遠さんのトーク。高遠さんというのは、イラクの人間の盾でフィーチャーされた以前から、ずっとボランティアをしてて、今にいたるまでボランティア活動家(?)なのである。Wikipediaによれば、北海道の実家がカラオケ屋でそれ手伝ってるとか、そういうベースがあるということもあるのかもしれないけど、ボランティア活動家をずっとやっている。NPOでも行政の助成金でも研究家でもなくやっている。メディアや大衆からは罵声を浴びるという経験を幾多してきてはいるが、「自由」な立場である。その彼女がこの映画の後のトークで何をしゃべるのかな、という興味がちょっとあった。
 彼女は、メディアから罵声を浴びて、「自己責任」なり何なりいろいろ言われてきて、その方面についてはベテラン。「福島」に関わる人たちも、その方面については、いいかげんにして欲しいほど辟易としている。映画でメインに取り上げられる人の一人は、高遠さんが「被災地」で活動している中で知り合った人で、鎌仲さんて大丈夫な人?、と聞かれて、大丈夫とこたえたので実現した登場者。監督は、よかったー、だめと言われたらどうしよう、とのこたえ。それくらい自覚しているから、最悪の事態は避けられてるわけだな。映画の中で、放射能が高いエリアに住む母子が保養に来ていて、移住なり避難をするのは難しいと言っている母親を、主催者が強い調子で「子どもへの責任」に焦点をあてて問いかけるシーンがあり、移住を決めるとのテロップが流れた。これには、強い違和感があり、このテーマの映画を避けてきたり理由の大きな要素なのである。しかし、高遠さんは、移住しろとは言わなくなったという。移住したいという人がいれば、北海道で不動産屋一緒にまわることはするけど、と。その理由を母子避難なり移住で離婚がものすごく増えたから、と言っていたけど、離婚は象徴的で見えやすいからそれが出てくるだけで、離婚という言葉からこぼれ落ちる多々な現象がそこにはあるのではないかと思う。
 どんな立場、あるいは切り口から言っても、誰かは傷つく。それが高遠さんが今までの経験から、この映画のテーマについても言えることとして言ったこと。だから何も言わないということではないけど、軽々に語ることはできないし、「あつくてさわれない」状態が数十年と続くのである。チェルノブイリの子どもたちの保養を日本でやっている団体が少なくとも5つはあって、あの事故以来ずっとやっているということで、それを考えれば、何年という区切りが意味をなさないことを物語るだろう。
 映画で、被災地にとどまることを決断したお寺が出てくる。自身も子どもがおり、幼稚園を経営している。子どもたちを殺すのか、と罵声を浴びながら、寺のネットワークで全国から安全な野菜など食材を送ってもらい、無料で分け与えているし、高性能がテスターを導入し、食品の放射能検査をし、徹底した除染もしている。そして保養に行く。このお寺が避難しなかったのは、一番小さい子が父親といたい、と言ったからということだが、選択というのは、一人一人の判断、決定にゆだねられているわけで、一人の「狂気」的な勢いで選択を迫られるべきではない。そういう事例が出ていた点では、さすがに、くだんの議員立法制定過程でもずっと言い続けてきた、移住・避難する人もとどまる人も、どちらの意思決定においても、同様の人としての権利が保障されることを担保するという観点において、安心できた点ではある。
 映画の最後に、チェルノブイリの女性が、行動せよ、と言うインタビューがあるんだが、いったいその意図は何なのか。
 鎌仲監督は、映画に入れ切れなかったたくさんの映像を会員に送っているという。なるほどなと思う。もったいなくて、全てをみせたくなる。それはそうだ。一人一人に別のストーリーがあるのだから。でも、それをすることで、一映画の作品としての責任から逃れることになりやしないか。それがこの監督の映画の天然な正義感でこのまま来たことへの違和感につながるのかもしれない、などと思い至った。
 ひるがえって、自身のことだが、この「自由」な立場で「今ここ」でいいという感じで、ボランティア活動家として人生をおくっていければ満足。そのベースとなるものをつくていくのが、人生後半へのターンを切った今日この頃なんだなと再認識した次第。