1.17を迎えるにあたって

なぜか、震災の年に小田実が、1月17日午前5時46分というのは、広島の原爆などと同様、その時刻が記憶されるものになる、と言い切っていたのが、強く頭に残っている。
その1.17を今年も迎えようとしているわけだが、時間までに目的地に到着する電車がないことに、今気づいた。仕方がない。途中まで車で行くか。この時間に電車がないというのは東京圏ならありえないが、神戸ならば普通なのかもしれない。
この1年、何をしてきたのか。一つ思い出すことがある。加藤周一講演会の実行委員をつとめるにあたって、勉強会を開いた時のことだ。加藤は、「阪神・淡路大震災」とか「阪神大震災」という言葉を一切使わない。なぜ使わないのか。これはマスコミがつけた名前である。国の機関は、兵庫県南部地震という名前をつけたようにも記憶している。加藤は、「神戸の大地震」といった言い方をする。そう、名付けによって消え去るもの、それを避けるためには、その言葉は使えないのだ。震災後、丹生谷貴志がどこかの月刊誌に、災害の中心を実感する言葉がないという意味で「神戸大地震はなかった」と書いていたのを思い出した。
たしかに「なかった」。だが、10年検証にむけて、あと1年、続けていくべきことは確実にある。そんなことを思いながら、「焼け跡」の長田のミサで、その時間を迎えようと思う。